Archive for 2011.1

物質展終了

2011.1.31

「物質展」(写真/物質としてのイメージの可能性)が終わり、考察をしていると「齟齬が多い展覧会だった」というのが一番の印象だ。

 もっと違う見せ方や、違う言葉があったのでは?と思ったり、僕らの2人展を初回から見ている人と今回が初めての人との差、web制作をしている人とそうではない人との差がとても大きかったように感じられた。そして、鑑賞者が満足していたり、プラスの評価をしてくれている場合ほど、こちらの意図したこととはずれているような受け取り方だったように思われる。

 そして、もっとも印象的だったのが、最終日に来てくれた柳町君が退場後、「雪がふってる!」と僕らを呼んでくれて、外で嬉しそうにしていた時の表情だ。初雪(?)に圧倒的に敗北感を味わった。

 満場御礼、好評という表面上は喜ばしいはずの状況なのだが、こちら側が「答え」として出したはずの展覧会を、「途中経過」や「実験的要素」を中核に置いた感じ方にさせてしまったことのずれが、あの状況を手放しで喜べない理由だろう。

 誤解を恐れずに書いているので、不快にさせてしまった場合には申し訳ないが、往々にして作者というのはこういう生き物である。敗北感やマイナスを自分から感じ、それを認め、プラスに昇華して次への作品に挑んでいく人間であり、この展覧会が必ず次へのステップへと僕らを成長させてくれる。


FFLLAATTでの展示は2月末まで続きます!
http://ffllaatt.com/exhibition/eguchi-hata/detail.php


↓白盤のURLを変更しました。
http://www.maroon.dti.ne.jp/sdc/html/

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満員御礼

2011.1.30

 昨日は「写真/物質としてのイメージの可能性」、「写真/仮想のイメージとしての可能性」のトークショーでした。ぎゅうぎゅうになり、入り口まで立ち見が続くという大盛況にて終らせることができました。本当にありがとうございます。会場を見渡すと色々な業種の人達がいるということに気付き、とても素晴らしい空間を皆で作っていたと思いました。しかし、「もっと伝わる言い方があったんじゃないか」と考えてしまいます。盛況であればあるほど数多くの問題点が浮上し、そこに立ち向かって次を良くしていきます。

 明るい部屋での展示は、今日が最終日です!20時で「写真/物質としてのイメージの可能性」は観れなくなってしまいます。是非、御来場ください!

 FFLLAATTでの「写真/仮想のイメージとしての可能性」は2月末まで続きます!そろそろ作品総取り替えの時期だと思いますので、一度観た方ももう一度観た方がいいですよ!


↓FFLLAATTでの二人展です。
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作品のこと

2011.1.28

・全ては主観である
・死は他人事である
・人間はいつ死ぬかわからない
・作品を人間が見たら展示が始まる
・作品の第1の鑑賞者は作者である
・他者と関わったときに他者を考慮できないのならば、僻地へ行け

僕は概ね上記のことに主軸をおいて生きている。普段、話していることは、これらから派生した考え方であり、大抵の事柄は上記のことが本質であるとも考えている。特にはじめの2つに気付いた時には、全てが開けたような気持ちになったのだが、デカルトが「我思う、故に我あり」と言い、デュシャンが「死ぬのはいつも他人」と既に言っていることを思い出し、人間が進歩していないことに苦笑したのだった。それが、大学の頃だった。

そして今思うのだ。「ただ、作品を創りたい」と。自己とは第1の他者であるのだから、本当に自己のことを考えたのならば、それは自己本位でも他者本位でもなく、どちらの要素も含まれていることは容易にわかる。しかし、それでも思うのだ。「ただ、作品を創りたい。人生の時間を懸けた作品に挑戦したい」と。「辺境の地であっても大丈夫だ」と。

「作品を創りたい」のだ。


↓FFLLAATTでの二人展です。
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↓明日は展示のトークショーです。20時から明るい部屋で、是非!
http://akaruiheya.info/

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今週の展示

2011.1.26

 只今、明るい部屋にて秦雅則さんとの二人展「写真/物質としてのイメージの可能性」が開催されています。FFLLAATTでの「写真/仮想のイメージとしての可能性」もそろそろ作品総取り替えの時期にさしかかっているはずです。この2つの展覧会を総じてこれからにつながるトークショーが今週の土曜日20時から明るい部屋であります。よろしくお願いします。


↓FFLLAATTでの二人展です。
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白盤URL変更しました。

2011.1.23

http://www.maroon.dti.ne.jp/sdc/html/

白盤のURLを変更しました。
何卒よろしくお願い申し上げます。

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思考の停止

2011.1.16

 先日、明るい部屋の遠矢さんと番狂せで話をしていたら、笑っていたので笑った理由を尋ねたら「久々にエグチ節が聞けた」と言われた。当の本人である僕が「エグチ節」をわかっていないので、「エグチ節」なるものを質問したら「思考の停止がない」ということだった。

 話は飛んで現在、原研哉さんの『デザインのデザイン』を読んでいるのだが、今の所、全ての項目で何かしら関係してしまっているところに、この人の仕事の多様さ、浸透性に嘆息してしまう。そして、「無印良品」のことが載っていたので、先の遠矢さんの「思考の停止がない」ことと関わるので、ちょっと書こうと思った。

 無印良品はいわずと知れた世界ブランドだと思うし、様々な人達が使用し、浸透しているブランド力を持っていると思う。しかしながら、ブランド力を誇示することなく、一歩も二歩も引いた所で僕達を充足させてくれる希有なブランドだと考えられる。もちろん僕もこのブランドの商品を使用しているのだが、それはトップスだ。

 肌着からTシャツ、そしてシャツを使用しているのだが、これは専ら仕事着になっている。撮影や制作などの仕事柄、照明や反射光など色に関わることから柄などの、視覚領域全般に渡ってセンシティブにならざるをえない。しかし、Yシャツなどのビジネスシャツを使用していると汚れや皺が気になってしまうので、ニュートラルな無彩色で、汚れてもしわくちゃになってもガシガシ着倒せるトップスが必要になってくるのだ。それをオールクリアにしてくれるのが、無印良品であり、作家業などの創作を仕事として考えるようになってからは、無印良品のトップスばかりを採用するようになった。作る(もしくは創る)という作業は有能感を生みやすく、制作物よりも制作者の方が目立ってしまうような場合があるが、大抵そういう場合は、けばけばしい格好であったり、自分の好きな物だけで身を固めようとしている場合が多く、見ていて品に欠ける。そういう格好は、仕事から離れたときにするべきであり、自分のやることに対しての相応しい格好があるものだ。

 もちろん、こういう考え方は学生時代にはそれほど強くはなく(学生には学生の格好があるとは思っていたが)、思考の状態が学生時代のものから動いているということであり、思考の停止がないということの結果なのだろう。


↓FFLLAATTでの二人展です。
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アトリエ更新

2011.1.9

 アトリエ改造が漸く一段落し、現在、新アトリエで作業をしている。とりあえず今の所は快適に使えているが、1つの作業しかしていないので、これから色々なことを経験して、その都度微調整をしていくのだろう。これでまた1つ、引っ越しが延期されたような雰囲気もしなくはないが、この配置ならある程度の広さを持った場所であれば、同じように再配置することが可能だ。

 なぜ、今更アトリエの改造をしたのかというと、そろそろ工夫を凝らしての作業配置ではなく、手放しで快適に動ける作業環境にした方が、異なる場所に智恵を使えるだろうと思ったからだ。今まで培ってきた創意工夫の智恵を、更なる成長のために使うためには(慣れてしまった)余分な動きを極力減らすのが良いと確信したのだ。

 それは、約1年前に切れてしまったアドレス入りの名刺を更新しようとも思ったのも関係しているのかもしれない。僕は2種類の名刺を持っているが、その片割れがなくなったまま1年を過ごした。その名刺を制作した時に、友人から「横位置はこれから広がるようにという意味で若手に向いていて、縦位置は一本立ちしたという意味があるんだよ」と教えてもらい、僕は横位置を選んだのだった。そして今回は、縦位置にしようと思うのだ。初対面の方々から「カタカナの名前ですよね?」とおっしゃっていただけることが以前よりも頻繁になってきたということもあるが、少しずつ背伸びをするのが僕の生き方でもあるからだ。


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英語

2011.1.7

 英語でメールが来るようになり、最初の内は「スパムか?」と怪訝に思ったが、よくよく読むとそうではないことがわかり始める。自分の英語力が日本語のそれと比べると、とてつもなく拙い能力であることが自分でもよくわかっているが、機械翻訳よりかは出来るぐらいのこのぐらいが、何も気にせずに能天気に扱えるので気分が楽だ。

 日本語では文章も書いたり、資料を読んだり、古典に触れたりするので自ずとボキャブラリーも言語力も上がってきて、1つ話すにも色々なことに気がついてしまって最近は疲れてしまうことが増えた。自分の使う日本語にも気付いてしまうのだから、他者が使う日本語においては尚更のことであり、日本語から離れたいと思うことも度々起きるようになってきた。

 何処に行っても創るものは一緒だし、自分次第なのはわかっているが、「参ったな」と思い始めている。

 しかし、頻繁に人から「英語できますか?(できますよね?の意味として)」という類の質問を受けるのは、何故だろうか。


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合理性工場

2011.1.4

 今や安価に家具やオフィス用品が揃うことで有名な、某外国産の家具店に行ってきたが、フロアを巡っていると、養老孟司さんの「脳化社会」という言葉を思い出したのだった。

 そこは、順路通りに進むのがベストな買い物方法であり、その店が提示した道から外れると、途端に自分がどこにいるのかわからなくなる。そのためだろうか、フロアの至る所にフロアマップが設置してあり、そのマップにも順路と現在位置が記されていた。レジの仕組み、カートの位置など全てが合理性の集合体のようであった。

 この合理性で、ある側面では人間を含む生物は進化してきたが、合理性だけではない部分も含むのが自然というものであり、人間も自然である。合理性を批判するのでもなく、完全な合理性だけでもないのが人間であるはずだ。なので、この合理性工場の製品と、そうではない、手垢だらけの品々を合わせて良い環境ができればと思う。


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祖母のチョッキ

2011.1.3

 姪っ子と会ってきました。子どもの成長は目に見えて素晴らしいものがありますね。毎度毎度の叔父バカぶりを発揮するのもなんなので、今日はばぁちゃんの話を。

 僕が冬場になると履き始める毛糸の靴下は、ばぁちゃんに編んでもらっています。靴を履かないとパンツの裾が地面と擦れてしまうので、冬場はこの靴下にパンツの裾をソックスイン出来る優れものです。暖かいし、便利なこの靴下を穴が開いては、この時期に持って帰って紡いでもらっています。思えば、靴や服を補修してどうしようもなくなるまで使い続ける僕の性質は、ほつれた編み物を毛糸まで戻し、再び何かを編み始める祖母の姿を見ていたことと繋がっているかもしれないです。

 しかし、今回はチョッキを貰ってきたのですが、これがすこぶる暖かい。毛糸を編んだだけのたった1枚のベストが、これほどまでに暖かいものなのか、新たな発見とともに、冬に最適な服ではないだろうか。たしか千住博さんも著書の中で、母のつくってくれるおにぎりのことを取り上げていたが、僕にとっての一番の服もばあちゃんが編んでくれたものだろう。


 年賀状をくださった方! すみません、今年は展示会のDMもあるので、他の人にはないスペシャル版として送ります。遅くなってしまいますが、ご勘弁を!

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