Archive for 2011

数年振り

2011.12.14

携帯電話のキャリアを変え、キャリアメールが変わったことを知らせていたら、かなり久し振りの友人達と連絡を取り合うことが続いた(アドレスが表示されずに「不正フォーマット」となってメールが送られてくることは無事に解消)。
 
随分とアップル製品を使用しているためか、初iphoneでもすんなり使えるようになってしまったのは、脳みそがアップル脳になっているようでいささか恐いなと思った。「そりゃあ、未だにwindowsに慣れないわけだ」と諦めもついたのだった。
 
閑話休題。久し振りの友人というのは面白い。再会直後に変わったと思ったものは、実は表面上のところだけで、対面で話していると変わっていないところや、変わりようがないところが浮き彫りになってくる。人はそうそう変わらないのだろう。僕が「丸くなった」、「大きくなった」と言われたとしても、「よくもまぁ、キレずにやっていけてるわ」と笑われるように、そちら側の性質が実は今でも色濃く残っている。ただ、認めることが出来るようになっただけだ。

しかし、今年の後半は数年振りの友人達と連絡を取る事が多いのは何故だろうか。キャリアを変える前から続いているので、何か意味があるのだろうか。「意味を探し出すのが人間らしいな」と苦笑い。

お知らせ

2011.12.10

本日、携帯電話のキャリアを変えるので連絡が取りづらくなります。

最短距離にも短いの字があるのね、当り前ですが

2011.12.1

1日が24時間で区切られていることに対して、「なんと短いのだろう」と考えるときが頻繁にある。そのためのなのかもしれないが、何かを断る要因に「時間の無駄だな」と思ったためであることが多い(ような気がする)。人間はどんな悪環境、悪条件下であっても自分にプラスに働かせて成長することが出来るが、環境が悪ければ悪い程、その人の意志や成長意欲が必要になってくる。そして、そんな意志や意欲がある人間は、よりよい環境にいた方が成長率が上がる。

僕はよく「最短距離」で進めることを推奨しているが、これは物質的な最短距離ではなく、精神的な最短距離なのだ。例えば、景色を味わいながら山道を進むことが最も良い進み方の人であれば、その進み方がその人の最短距離になるだろう。一方、駆け足で山頂まで走り抜けるのが最も良い進み方なのであれば、それが最短距離である。どちらが適しているかはその人次第であり、このような最短距離をほとんどの事柄において考えている。僕が「時間の無駄だな」と思っているときは、最短距離ではないと判断をした時である。しかし、この最短距離、先にも述べたように何が適しているかは「その人次第」なのが厄介なのだ。その人次第ということは何かを判断する前に内省が必要であり、この見立てを誤れば、見立ての先にある判断は酷く誤ったものになってしまう。つまり、ここでも大切になるのが「自分が一番大切にしていること」である。「判断がつかない」、「内省がわからない」のなら、自分に一番のことを考えればいいだけだ。

『春との旅』を観た。

2011.11.23

『春との旅』を観た。レンタルビデオ屋で借りる時はそれほど期待しておらず、冒頭シーンも「演出が喜劇すぎないか?」と訝しく観ていたのだけれども、物語が進むにつれて引き込まれていった。内容もよくあるもので展開も予想できるのだが、「『映画作品』とはこうあるべきだ」と言いたくなるような、そして、最近の僕が一番観たかったタイプの映画だったのだ。作品の中で役者が活きて、些細な演出も抜かり無く、たとえ1カット台詞無しの登場だとしても作中の人物達として生きている、そんな映画だった。

告知…になっていないな

2011.11.19

MP1のレビューが今月17日発売の『美術手帖』(以下 BT)に載った。届いたBTを手にとってみたら表紙がかっこよく、BTの表紙が良いと思ったのは久し振りで、誰の写真だろうと思ったら…荒木さんだった。「先輩、すげぇな」と舌打ち混じりに興奮した。三宅一生さんが写っている写真を初めて見たけれども、笑顔がとても素敵な人だった。そして、「先輩、すげぇな」と思うんだな。