Archive for 2009.5

環境の大切さ

2009.5.29

東京や、今住んでいる所以外で展示をするとその土地に住んでいる人たちの家に泊めてもらうのは僕の幸運のところです。

そして、幸運の話で進めていくと、僕のことや僕の関わる作品のことを考えてくれる人たちが、僕の周囲にいてくれることだろう。

例えば、今、僕は友人の家に泊めて頂いているのだけれども、その友人から食生活についての栄養のことを心配されており、「明日は俺(友人)がご飯を作っておくよ」と宣言されている。

こういうこと以外においても、僕という作家や僕の関わる作品について考えてくれる環境がいてくれるということは、素直に「めぐまれている」いえるのだろう。

昨夜のトークは大丈夫でしたか?

2009.5.28

「明るい夜」という名のトークショーも無事にこなせました。

対話的に作品についての話をするときよりも、話者よりも観客や聴衆の方が多い状況で話す場合、作品との距離を感じてしまう。そして、作品という存在、創作という行為からあまりにも距離感を感じてしまうので、その間中、常に作品ということ、創作ということ、作家ということについて話をしてしまい、結局、柔らかさのない退屈な話をしてしまっているのではないだろうかと疑問を持ってしまう。

ただ今回よかったかなと思ったのは、トークショー後の、御来場して下さった方々と個別に話をしていたときの印象だ。その時も変わらずに同じようなことを話してしまっていたのだが、対話的になっているので、相手への言葉を考えるという行為が良い印象に繋がったのかもしれない。そして、そのこと以上に、作家の方達と話しているときに、その方達が作品と向き合って創作をしているような話を聴けたのが嬉しかったのだ。

けれどもそのように良い印象を抱いている時には「自分だけだったらどうしようか」という畏れのような感情を抱いてしまう。

プラスでもマイナスでも確かな刺激を受け取って欲しいと願ってしまうのは、僕の我が儘なのだろうが、「何か」を投げっぱなしにするのではなく、「確かな」感覚を見つけられる手助けをするのが、トークというものなのだろうと考えられる。それがたとえ「いい」、「わるい」という単純な感覚だとしても(「好き」、「嫌い」ということではなく)。

6月7日までなので、2回、3回でも御高覧いただけると幸いです。

在廊日

2009.5.25

搬入も無事に終わりました。
搬入が終ると、憑き物が落ちたような感覚になるのは常のことでどうにも感情が出てきませんね。
疲労感とはまた別の感覚とでもいいましょうか。

僕の在廊日ですが、26、27、29、30、31、5、6、7日に在廊できる予定です。

御高覧のほどよろしくお願い申し上げます。

※27日の20:00〜21:00まで、トークセッション&オープニングパーティーが同会場にて催されます。
そちらの方も皆さまお誘い合わせの上、御来場のほどよろしくお願い申し上げます。

復旧しました

2009.5.24

mac のネットが復旧しました。

mac のバージョンが悪いみたいで、面倒臭い方法になってしまいました。
ただ1つよかったのかもしれないのは、作品データのバックアップをしっかりととる契機になったことです。
作者がいなくなっても作品が残る環境が着々と進められているようで、若干の安心感を抱きます。

ただ、PC 用のメール受信数の多さには若干ひきました。

そして

疲れました。

ご不便をおかけします

2009.5.20

昨日から自宅のネット状態が壊滅的なことになっているので、メールのやりとりが遅れることをお許し下さい。昨年から度々生じていましたが今回は mac にも影響がでてきているみたいなのでかなり困っているような、笑うしかないような。

仕事関係の連絡などはホームページの contact のアドレスへご連絡いただけると助かります。

なるべく早く復旧できるように頑張ります。