Archive for 2008.12

アンビヴァレント

2008.12.15

今朝起きると、眼前に巨大な女性の顔があった。彼女は目を見開き、本来ならば恐れさえも感じていいはずの場面だったのだけれども、背景から差し込んでくる日の光と、青と赤みのかかった視界に『100億年の太陽』をみていた。

この光の感覚というのは、誰しも、そしてどの生物さえも抱けるものであるはずで、この太陽の恩恵を受けなければ我々は何もみることはできない。仮に不幸とされていがちな「人間以外の生物がほとんど死滅した世界」で表れされる地下生活の人工光のなかでしか育ったことがなければ、光の感じ方は我々と異なるものになっているかもしれない。

一般に「写真」と呼ばれている媒体は、その光の感覚を研ぎすませ、且つ、直接に用いると思われている。それをそのまま受け入れることもできるし、疑うことも許されているが、だからこそ僕は、「Photograph」に感謝を抱いている。その反面、憎しみも認めているのも事実である。

その2つを認めることは当たり前なのかもしれない。

信念

2008.12.11

漸く『ダークナイト』を観る。映画館に観に行きたかったけれども、なかなか行けずに終ってしまった映画。アメコミは昔から好きだった。というのも、幼稚園時代、朝に放送していたからだ(記憶は曖昧)。スポーンの映画化はかなり不満足な内容だったが、最近のものは結構好きだ。ヒース・レジャーがODで亡くなったことからも「怪演」ぶりが話題となりすぎて、その時は避け気味だったのだけれども、DVDで観て「映画館で観ておけばよかった」と悔やまれる。

この映画で鍵となるのが「信念」だと思われるが、いくつかの立場が自分達のそれとかぶるように感じられた。どれを選ぶかで何かと変わるが、「それで満足か?」と疑問を投げかける自分がいる。それに従うか、曲げるかも、端からみれば「その人」が決めたように思われる。それ故、易々と自己責任という言葉を放り投げられる。

高潔でいつづけるには犠牲が多くなくてはならないのだろうか。

分けて選んで

2008.12.8

おならがね、ぷ〜っと止まらない。
今日の朝ご飯はトーストにジャムをちょこちょこつけながらのコーヒーでした・・・と書きながら、普段ブログに書いている雰囲気と異なり、無理を覚える。創作日記、ネタ帳、エキシポート、作品資料、ブログなど書くものは色々と分かれている。一応、僕がいなくなっても誰かが読めるようにわけてある。

分けるというのは「選ぶ」こととも通じている。活動歴などを提出するためにつくられるファイルには、作品の全数を込めることができない。できないというのは見る側の一方的な便宜上な訳だが、少し楽しんでいる自分もいる。自分と作品の今までをどのようにしたら少ない力で伝えることができるのか、そこを試している自分自身がいる。「1を観て10を知る」能力を大多数の鑑賞者や評価を下す側が有しているとは、微塵も思っていないが、自分で自分を試すことは可能である。創作時には作品から試されているので、かなりの量の闘いがそこには存在している。

とても個人的だけれども、最近の中での興味深い話の中に、「ピカソとブラック」のたとえ話があった。作品であれば、僕はブラックの方が好きなのだが、やっぱりピカソに憧れを抱く。持っている性質と姿勢と無い物ねだりという人間らしい特質は誰もが持っているのだろう。あの話はとても的を得ているようでとても興味深かった。
※これだけ読むと誤解を招く可能性が高いだろうと考えられたが、とても楽しかったので書いた。

関わり方

2008.12.5

今日は暖かかったですね。ぬるく湿った風が自分を包んでいく、そんな嵐の直前は好きだ。

先日、シフォンケーキが有名なお店に行ったのだけれども、僕が頼んだものはビールで何か申し訳ないような気もしていた。肝心のケーキは大きさが恐ろしく、しかし、老若男女問わずにその物体をぱくぱく、ぱくぱく、ぱくぱく・・・しかも向こう側にいる男性は「もう2つか3つ食べれるわ〜」と言っている始末。けれども、一緒に行った人たちのを少し頂くと、ほわほわしていて「ありゃ、でか味じゃないのね」と思い直される。美味しかったです。ただ、お店の名前は知らないです。

創作の合間に『ミュンヘン』と『4ヶ月、3週と2日』を観る。どちらも生命が関わってくるのだけれども、その関わり方や内容が異なるが、共通項として、人間のみの関わり方だった。良きも悪きも。

知恵熱

2008.12.2

創作→支持体づくり→創作→作品へのことばをまとめる。

ことばのところで久しぶりに脳が熱を発していることを知覚した。けれども、ことばでも何でもいいから創作への強化付けがなされるとその後の作品への圧力も上昇してくる。以前から「思い込みを盲信のレベルにまで引き上げろ」とは口酸っぱく言っているが、盲信レベルに到達したとき、生死を超えたものを得ることが出来る。