Archive for the ‘心の健康’ Category

「思考を停止させないこと」と「脳を消耗させること」は違う。

2017.4.11

自戒も込めて意識していることがあります。やりくりすることに脳を消耗させてはいけません。「思考を停止させないこと」と「やりくりで脳を消耗させること」は全く異なります。
 
アート、クリエイティブ、デザイン、ディレクション、マーケティングという類の言葉は一種の甘美さがあるので危険です。これらの職業についていると、目の前のことをやりくりすることに精一杯で脳を消耗しているだけにも関わらず、とてつもない価値を作っていると思ったり、重要な事業に携わっているような錯覚に陥りやすくなります。
 

一見すると似ている両者。

 
何人もそんな人を見てきました。彼ら(脳を消耗させているだけの人)の特徴は、承認欲求が強く、誰にも影響を及ぼさない所に極度のこだわりを持ち、そのこだわりによって周囲の時間や労力をすり減らします。
 
一方で、思考を停止させない人も自我が強く、主張がはっきりとしていますが、自らも動くことによって、人々にベネフィットとインパクトを与えることができると本気で信じて動いています。
 

彼らを識別するための質問。

 
両者は一見すると同じように見えるのが厄介です。そこで、違いを見分けるのに有効なのが、人々や社会や地球へのベネフィットを尋ねることです。健康になれる、手間を省ける、仕事量を減らせる、仕事を生み出せる、お金が稼げる、流行を知れる、生態系を壊さないなど、思考を停止させない人であれば自分以外の誰かや何かに対してのベネフィットを答えてくれます。
 
それが、企業やプロダクト、サービスの価値になります。こだわりが強い人と出会ったら、そのこだわりの先に自分以外の誰にベネフィットがあるのか、尋ねてみると良いです。

 
「思考を停止させないこと」と「脳を消耗させること」は違う。

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ヒューマンエラーは「ミス」ではない。

2017.1.19

ブランディングやクリエイティブという仕事をしていると、「何を作っているのですか?」という質問を最初に受けることが多い。そこで期待されている答えは「ロゴ」や「Web」や「ポスター」などのいわゆるハード(制作物)だ。こういうものを作っているのは事実だし、写真を撮影してレタッチ(写真加工)をして、Webコーディングもしているので人を介して紹介されるときは「写真を撮っている人」だったり、「Webを作っている人」という紹介をされるが、実はそれらはあまり重要ではない。ややこしいかもしれないが、私の仕事において最も重要なところは「コミュニケーションにまつわる意識を変えること」だといえる。
 
たとえば、メールでの日時の書き方を変えるのも仕事にあたる。
 
「20日にしましょう」という書き方に何も違和感を抱かなければ、そこに違和感を持ってもらい、「20日(金)にしましょう」と「日付+曜日」と書き直してもらう(実際には時刻や場所も同時に決めていく文面を書くが割愛する)。暦上、20日(金)が正しければ、20日(木)や19日(金)と書かれていた場合、メールを受け取った相手は間違いに気づくチャンスを得られる。これが日付のみを書いている場合、文面が間違っていても間違いに気づくチャンスが減り、コミュニケーションの行き違いが生じやすくなる。
 
ここで大事なのは、「書き間違えない(ミスをしない)」ことではなく、「人間はヒューマンエラーをする生き物」だということを意識して行動を変えてもらうことだ。
 

ミスを引き起こす、無駄な管理体制。

 
メールで日時を書き間違えるのはミスだ。しかし、人間であればヒューマンエラーは必ず起きるものであり、すなわちヒューマンエラー自体はミスではない。そして、ヒューマンエラーによるミスはなるべく避けたいのが人情だ。そのために紙への記入手続きを減らしたり、単純計算においてITを活用するように社会は発達してきた。
 
ヒューマンエラーを見越して行動できる仕組みが社内に浸透していれば、こういったミスを減らせるとともに、それでも生じたヒューマンエラーによるミスを許容できる。しかし、「人間はヒューマンエラーをする生き物」だということを意識できなければミスは減らないし、ITを活用できずに無駄な手続きを増やしたり、書類をむやみに増やしたりする。その積み重ねが会社全体の生産性を下げ、小さなミスを重ねることで相手の信頼感低下を引き起こす。一度失った信頼感は取り戻すことが難しく、ミスを受けた相手は常に疑ってかかるようになる。そして、経営陣は従業員を管理するための規則をやたらと作るようになり、生産性の高い人材が会社を去り、生産性の低い従業員が辟易としながら残るという悪循環に陥る。
 
飛躍した話かと思うかもしれないが、私が出会う企業で「小さなミス」が目立つ企業はこのパターンが多い。ミスが多いのは仕組みに問題があると気づかずに、ヒューマンエラー自体をしない人間を求めてしまっている(もちろん、そんな人材には出会えない)。
 

PDCAを有効に回せないパターン。

 
もうひとつ、メールにおいて「今週の金曜日」のように曜日だけを記載するのも、良い書き方とはいえない。「今週の金曜日」のように書くと、相手はスケジュールを確認する際に、カレンダーで「週」と「日付」と「曜日」を照らし合わせて確認しなければならない。意識するほどのことでもないが、「20日(金)」と送られるよりも、確認における手数が増える。この「意識するほどでもないこと」と「手数が増えること」がヒューマンエラーを引き起こす(実際は「20日(金)」なのに「27日(金)」と見間違えたり)。
 
つまり、ヒューマンエラーを引き起こしやすくなる行動を促しながら、仕事を通して製品やサービスを顧客に提供しているのだ。製品を使ったり、サービスを受けたりして、製品の使用方法に融通が効かなかったり、サービスが一方通行であったりして不快感を抱いたことはないだろうか? もしくは与えられた情報が多すぎて、何をどうしたらいいのかわからずに混乱したことはないだろうか? サービス提供者に手数を減らす意識がない場合、機能や情報の足し引きを検証し、改善することもできないため、このような製品やサービスの提供がされやすい。
 
これは近年話題になる「PDCAサイクル」を有効に回せないことにもつながる。相手の行動を予想することができなければ「計画(Plan)」を立てられず、場当たり的な「実行(Do)」となり、ひとりよがりな「検証(Check)」をして、足してばかりの「改善(Action)」をする(実際には計画を立てることは誰でもできるので、方向性を誤った計画になったり、途方もない計画になる)。
 

ヒューマンエラーを考慮したコミュニケーションデザイン。

  
今まで取り上げたことは私の職業名からは想像もつかないかもしれない。このブログでも度々取り上げているので、馴染みのある方もいるかもしれないが、「UXデザイン」というデザイン分野が台頭してきている。以前も書いたが「UX=User experience(ユーザー体験、顧客体験)」であり、UXデザインとは「製品やサービスとユーザー(顧客)が関わったときに、ユーザー満足度を向上させるためのデザイン手法」である。
 
既にお気付きの方もいるかもしれないが、私がクライアントの意識を変えるのは、ヒューマンエラーの意識を持つことで、製品やサービスと関わるユーザーのヒューマンエラーを考慮しやくすなり、実際に起きた場合でも対処しやすくなるからだ。人が不快感を抱く状況を予想できるのなら、ユーザーが不快感を抱かずにスムーズに製品やサービスを使える状況を作りだしやすくなる。さらに、リスクについて考える体制が整っていれば、どんなリスクが致命的なのかが判別しやすくなる。これはユーザーだけでなく、従業員に対しても同様である。生産性の高い有能な従業員が辞めないようにするには、無駄の多い管理体制や仕組みを変える必要がある。そのためのマインドチェンジをするのも私の仕事であり、むしろこれこそが私の仕事の根幹ともいえる。
 

経営者にとってもクリエイターにとってもWinWinであるために。

 
なぜ、ここまで私が見るのかと疑問に思うかもしれない。ここからは職業倫理になるが、私がクライアントと関わるとき「クライアントが自走できるようにする」という意識がある。
 
企業における予算とは短期・中期・長期的計画のどれにおいても、上司や役員、経営陣、投資家、株主を説得して初めて捻出される。個人事業主の場合でも自ら稼いだり、融資をされたり、借金をしたお金を予算としている。それを浪費とするか、必要経費とするかと問われたら、誰もが「必要経費」として有効活用したいはずだ。
 
ホームページが必要になってデザイン会社に依頼したら、ボッタクリを思わせる費用をデザイン会社から請求されたり、そのデザイン会社が得意なことをベストプラクティスとして提案されているだけなのに、クライアントはそのことに気づかなかったりする。そして色々と作ってみたはいいが、制作物を活用できない状況に陥る。これらは、ようやく捻出した費用を浪費したことになる。
 
その逆もある。クライアント側が、クラウドソーシングのような価格破壊の金額を当たり前として提示しつづければ価格競争になり、クリエイティブの質の低下は免れない。クリエイティブの質の低下は、製品やサービスを使うユーザー(顧客)への満足度を下げる要因につながる。昨年話題になったキュレーションサイトの問題も、価格破壊によって職業倫理が麻痺した結果、盗用が横行することになったのではと思えた。また、先ほど言ったように、クライアント企業内の意識が育っていなければ、有能な従業員が辞めやすくなる。
 
これまでの例は実際に私が出会ってきた会社たちだ。その度に、他の方法もあることや、そのための意識改革の必要性を説いてきた(そして、感謝をされた)。ポスターやWebを作るだけがデザイナーの仕事ではないし、生産性の意識が高ければ、ロゴやポスターを作ったとしても有効に使える。無駄な浪費ではなく、必要な経費として、クリエイティブの力を活用できるようになる。私がいなくてもクライアント企業内でクリエイティブが自走でき、手助けが必要になったときに再びタッグを組む。これが健全な仕事のあり方だと考えている。そして、そういう仕事でありたいために、ヒューマンエラーにおける意識改革をさせてもらっている。
 

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私が『サーチ・インサイド・ユアセルフ』を勧める理由。

2016.12.13

日本のビジネスマンの間でも話題になったマインドフルネス。書店に行けば、必ずと言っていいほどマインドフルネスを扱った本と出会えるようになり、日本人が著者のものも多くなっている。しかし、効果のエビデンス(証拠)となる論文やデータが記載されていないものもあり、その著者が何をベースに書いているのかが分からないものも多い。そんな中、冗長なユーモアや特徴的な翻訳に我慢できるのであれば、マインドフルネス関連本の中でも、『サーチ・インサイド・ユアセルフ 仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法(以下、サーチ・インサイド・ユアセルフ)』は群を抜いてオススメできる。
 
「マインドフルネス」が初耳だという人もいるかもしれないが、著者であるチャディー・メン・タン氏の言葉を借りれば、マインドフルネスとは「ただあるがままでいるときの心(※1)」の状態である。そのため、日本でも話題になり、皆が想像している瞑想の姿は「マインドフルネス瞑想」と呼ばれる。
 
ではなぜ、数あるマインドフルネス関連本の中から『サーチ・インサイド・ユアセルフ』をオススメしたいのか? 理由は3つ(+α)ある。
 

『サーチ・インサイド・ユアセルフ』をオススメする理由。

 
理由のひとつ目は、Googleの成功が挙げられる。以前、『禅マインド ビギナーズ・マインド』のレビューでも話したが、現代人が瞑想やマインドフルネスに関心を持つ理由は「集中力を高め、ビジネスにおけるパフォーマンスを向上させたい」というものだろう。集中力を高めた先に「悟り」を知り、悟りの状態を「維持する」ことが本来的に望ましい状態だとしても、現代人にとってはビジネスパフォーマンスを向上させる方が強い動機づけになる。そういった意味で、誰もが恩恵を受けている検索エンジンを作っている会社が採用したプログラムというのは話が早い。しかも、プログラムは違えどIntel、Facebook、Linkedinなど、批判をする人がいたとしても成功を否定できない企業がマインドフルネスという概念をこぞって採用している(していた)というのも、後押しする事例だと考えられる。
 
オススメする二つ目の理由が、瞑想を科学の分野にしている点である。横浜での講演も記憶に新しいダライ・ラマ法王も、瞑想で得られる恩恵を科学的データにすることを奨励している。そういった背景も手伝ってか、エビデンス(証拠)になるデータや事例が数多く挙げられている。成功している企業だからと言って、すべてのプログラムが成功しているとは言えないが、瞑想における恩恵が事例データとして記載されることによって、プログラムの成功具合がうかがえる。そして、論文などの引用元が記載されているため、私たちがそのデータを調べることができることも大きい。日本の著書では事例を挙げていても、どこの論文なのか記載していないことが多く、引用元にたどり着けないことが往々にしてあったり、神秘的な感覚を重視しすぎていることが多い。
 
最後の理由が、プログラムを実施するやり方が詳細に記載されている点だ。どんなに優れた企業の役員や実績のある人の話でも、科学的データが揃っていたとしても、私たちが行えないのであれば、その話は単なる自慢話だ。日本のビジネスマンと話すと思想ではなく、経歴や事業実績だけが語られて「So what?(だからなに?)」という状態に陥ることは『サーチ・インサイド・ユアセルフ』という本の中では起きない。二つ目と三つ目の理由によってプログラムの再現性は格段に高まっている。つまり、著者であるチャディー氏が目の前にいなくても、私たち読み手はプログラムを実施することが可能になっている。
 

続けるための秘訣。

 
さらにオススメする理由をもうひとつ付け加えるとしたら、私の性格と彼の性格に共通している部分が見受けられる点だ。別の本になって恐縮だが、『RESET・リセットーGoogle流 最高の自分を引き出す5つの方法』の著者であるゴーピ・カライル氏が、インドの厳しい修行で学んだ瞑想が毎日続けられないことをチャディー氏に相談したところ「1秒でいいからやってみること」を勧められたと書いてある。この逸話を読んだとき、続けるための秘訣が「意識すること」にあるのを知っている人だと思えた。私とは違って生真面目な人に共通していることだが、「決められたことを全力で間違えずに行おうとする人々」がいる。残念ながら、そのやり方ではパフォーマンスを高めながら続けることは難しい。
 
それではなぜ、「決められたことを全力で間違えずに行うこと」を続けられないのだろうか?
 
まず第一に、「決められたこと」は内発的動機づけが起こりにくく、パフォーマンスは上がりにくい(プログラムというのはとても単純なものであっても、他人から決められたものである。※2)。第二に、人間は常に全力でいることはできない(全速力で1キロメートルも走れないように)。第三に、人間は間違う(ミスをする・エラーがある)生き物だ。だから、決められたことを全力で間違えずに行おうとすると続かないのだ。しかし、たった1秒で済むのなら、人は全力で行える。そして、他人が作ったプログラムでも、せっかく出した全力が1秒ではもったいないという気持ちが自然と湧き起こる。その結果、続けられるのだ(先の逸話でもチャディー氏から1秒と言われたのに、1分は瞑想を行うとゴーピ氏は誓っている)。
 

実際にマインドフルネス瞑想を続けた結果。

 
実際に、マインドフルネス瞑想を行なっていると、心身ともにストレスが極度にかかる状況でも、冷静さを保ちながら判断を下しやすくなっている。私の場合は、以前から瞑想をしていたり、今年に入ってからヨガも始めたので、一概にマインドフルネス瞑想のおかげとは言い切れないが、それでも冷静さにおいては以前よりも増し、利他的な傾向が強まっている(このブログも日本の知識労働生産性を向上させるためのお手伝いであり、誰かを変えたいと思ったり、自分の利益のためにやっているものではない)。
 
たとえば、冷静さの向上においては、先日昼食を作っている際に自らの過失で、左手の人差し指の爪を半分近く包丁で切り落としてしまった。痛みを感じた後、勢いよく血が流れ始めた。午後の予定に間に合うように急いでいたこともあって、切った直後は極めてストレスがかかったが、それでも自分がすべきことをスムーズに行うことができた。まずは片手で止血できる体勢を作ってから、スマートフォンで家の近所の外科を探して電話をかけた。しかし、昼時のために救急で診てくれる病院が見つからず、いくつもの病院や情報センターをたらい回しにさせられた(その中にはホームページで「救急対応」と書いている病院もあった)。大病院も頭をよぎったが、たらい回しにされている間に時間が経ち、救急車やタクシーを呼ぶよりも、近所の病院が開く時間を待った方が早いということに気がついた。そして時間になるまで指の痛みを感じつつ、午後から会う約束をしていた人に事情を説明するために電話をしたり、指を切ってからそのままの状態になっていた台所を簡単に片付ける余裕があった。
 
このように話すと大した傷ではなかったと思われるかもしれないが、病院から帰って来てからも血は止まらず、次の日に傷口を焼いて止血をしてもらったほどだ。
 
治療初日のガーゼが血で真っ赤になり、痛みと疲労で頭が冴えない状態でも、この事態をバネにして教訓を得ようと考えることはできた。怪我から3週間経った今も完治はしておらず、怪我のない頃よりも疲れやすくはなっているが、それでも気持ちに余裕があり、明晰に自分の行動を選択できている。左手の人差し指を使わないで行うキーボードのタイピングや家事など、仕事や生活の作業にも慣れている。
 
元々、私は物心つく前に腎臓病を患っており、そのお陰で精神的には鍛えられていた。何かアクシデントが生じても心理的な回復力は高い方だったが、マインドフルネス瞑想を意識的に行うことで、精神的な回復力は高まっているように考えられる(そのことが『サーチ・インサイド・ユアセルフ』内でも取り上げられている第五水準のリーダーに近づけていたら嬉しい限りだ。※3)。
 
「呼吸に意識を向けること」から始まるマインドフルネス瞑想。結跏趺坐(けっかふざ)、シャヴァーサナなどのポーズを強いるのではなく、怪我をしていても、手足が動かなくても行うことができる瞑想法。この心のトレーニングはやってみる価値がある。チャディー氏が「サーチ・インサイド・ユアセルフ」というプログラムを「『オープンソース』化し、グーグル以外の人にもアクセスできるようにする時が来た。この本は、その活動の一環だ(※4)」と書いているように、プログラムを理解し、実績や効果を知り、自ら実践するための手助けとしてはとてもお手頃価格であり、チャディー氏の思想が反映されている本ではないだろうか。
 
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※1:『サーチ・インサイド・ユアセルフ 仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法』、著:チャディー・メン・タン、出版:英治出版、2016年、p59
※2:『サーチ・インサイド・ユアセルフ』の中でも取り上げられているが、内発的動機づけと外発的動機づけについては、TEDトークのダニエル・ピンク氏の講演が簡潔にまとめられている。
※3:第五水準のリーダーについては、以下の本を参考にして欲しい。『サーチ・インサイド・ユアセルフ』でも一番の推薦図書になっている。
参考図書:『ビジョリナリーカンパニー2 飛躍の法則』、著:ジム・コリンズ、出版:日経BP社、2001年
※4:『サーチ・インサイド・ユアセルフ』、著:チャディー・メン・タン、出版:英治出版、2016年、p344
※5:本書の中で瞑想を科学的なトレーニングにしているのに加えて、出版に尽力した人々がいると思われる中、「監訳者による解説」が出版(再刊)に際して神秘性を強調する言葉で締めくくっているのは残念だ。また、監訳組織のプログラム費用が、「サーチ・インサイド・ユアセルフ」をオープンソースを謳うには難しいと思われる金額になっているのも、本書の思想とは遠いようにも思える。
※6:この本の続編にあたる『たった一呼吸から幸せになるマインドフルネス JOY ON DEMAND』(著:チャディー・メン・タン、出版:NHK出版、2016年)が最近発売されて読みやすい文体になっているが、データの詳細さがなくなった点と、頻繁に出てくる「JOY」という言葉に慣れない点で、『サーチ・インサイド・ユアセルフ』を選ぶかどうかは読み手によって異なると思われる。どちらも良い本なので、書店で見つけたら手にとって欲しい。

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ビジネスの健康+心の健康+体の健康で不安を和らげるお手伝いをする。

2016.11.1

日本語の「過労死」は「KAROSHI」という英語になりました。私自身も過労死のことを考えることは多くなっています。100時間を超える時間外労働や心無い言葉。それは私も経験しました。人物の性格の良し悪しと知識労働生産性は必ずしもイコールではありません。知識労働生産性の向上は、向上させるためのスキルがあり、人格の問題ではありません(知識労働生産性を向上させた副産物として、人格が改善されることはあります。なぜなら、そちらの方が周囲のパフォーマンスを向上させることに気がつくからです)。つまり、知識労働生産性を上げることは誰でもできることであり、どんな会社でもできることです。
 
通常業務に加えて、社内の仕組みを変える提案もしていた勤務生活。「仕組みを変える提案」の場合は、ほとんどボランティアで動いていました。体を壊したことで「このまま会社に残っていては自分の人生の目標が果たせない」と気づき、仕組みの変わらない会社を辞めました。
 
知識労働生産性を高めるビジネスの健康、頭の中が晴れる心の健康、運動や自然栽培による体の健康。瞑想、ヨガ、自然栽培、グルテンフリーなどを勉強していて分かったことがあります。秘訣は悟り。自然であることです。不自然なものは不健康になり、不安を募らせます。
 
ビジネスにおける不安は「顧客を満足させられるのか? 」「上司や役員を説得できるのか?」「納期までに終わるのか?」など。心における不安は「自分の言動はおかしくないか?」「眠れるのか?」「苦しみがとれるのか?」など。体における不安は「太りたくない」「病気になりたくない」「老けたくない」など。ビジネスにおいても、心においても、体においても、不自然で不健康であれば不安は募る一方です。この仕組みは完全に決まっていて、だからこそ自由になれます。デザインもビジネスもやり方や理論が決まっていて、そのために、多種多様な企業が成功できているのです。生まれてすぐに腎臓病になった私が過労をしても鬱病にならなかった理由は、仕組みを知っているという悟りにあります。
 
私がデザインを仕事にする理由は、より多くの人に、知識労働生産性を高めてもらって、仕事のパフォーマンスを効率良く上げてもらうためです。私がアートを仕事にする理由は、より多くの人に、「こんな方法もあったか」と、いくつもの道があることをひらめいてもらうためです。私が自然栽培やグルテンフリーを薦める理由は、より多くの人に、体に良いものを摂ってもらうためです。ビジネスが円滑に進むとき、頭は冴えています。頭が冴えているとき、体は良く動きます。これはとても自然なことです。これらを広めるために、今の私はあります。
 
私がデザインを仕事にする理由:より多くの人に、知識労働生産性を高めてもらうため。
私がアートを仕事にする理由:より多くの人に、ひらめいてもらうため。
私が自然栽培・グルテンフリーを薦める理由:より多くの人に、体に良いものを摂ってもらうため。

 
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『禅マインド ビギナーズ・マインド』を読んで。

2016.10.21

故スティーブ・ジョブス氏やシリコンバレーの企業でも愛読され、先日取り上げた『Q思考(原題:A More Beautiful Question)』でも引用されている『禅マインド ビギナーズマインド』。一巻と二巻が発刊されていて、2010年に発刊(新書版は2012年)された一巻目が、初心の心をはじまりとして禅の全体像を伝えているのに対し、2015年に発刊された二巻目は只管打坐(しかんたざ)、結跏趺坐(けっかふざ)という、修行の仕方に重点を置きながら禅を伝えている(二巻目は新書版のみの発刊)。
 
なぜ、この本が世界的ベストセラーになっているのか。多くの企業で取り入れ始められているマインドフルネスという考え方。今この瞬間への集中力を高めて、パフォーマンスを向上させやすくなるとして、マインドフルネス瞑想はGoogleをはじめ、Linkedin、Facebook、インテルなど多くの企業で導入されている。導入の先駆けともいえるGoogleのサーチ・インサイド・ユアセルフというプログラムの開発者であるチャディー・メン・タン氏は著書(*)の中で、古来からの瞑想のあり方をこう語る。「瞑想は魔法のようなもの、謎めいたものとは見なされておらず、ただの心のトレーニングだった」。そして、マインドフルネスを練習した人の前頭前野の情動設定値が、情動的知能を高める方向へシフトしたという結果を示した。
 

プラグマティックな禅。

 
前置きが長くなったが、現代社会において「幸せになること」と「生産性(パフォーマンス)を向上させる」ことは密接に結びついている。そして、情報過多となり、ノイズの多い現代社会において、ノイズに惑わされずに集中することが生産性を向上させることにつながるとも信じられている。その一助となるのが、マインドフルネスという考え方であり、瞑想や坐禅だ。
 
古典的に禅をやっている人からすると、この一連の考え方は不純に感じるかもしれない。しかし、著者である鈴木氏は禅の悟りを映画のスクリーンに喩えて、坐禅をすることで汚れのない真っ白なスクリーンをもつことが最も重要と言いながらも、「たいていの人は汚れのない真っ白なスクリーンには興味をもちません」とも言っている。坐禅をし、瞑想をすることで最終的には悟りに気づき、その状態を常に保つことができるようになることで、今まで抱えていた恐怖心や不安はなくなり、平穏な心の状態が維持できるようになるだろう。しかし、人々が注目しているのは悟りに至る前の「集中力が高まる段階」なのだ。
 
現代は極めてプラグマティック(実利的)な時代であるが、『禅マインド ビギナーズマインド』を読んでいると、鈴木氏が伝えていた禅が極めてプラグマティックであることがわかる(以下、引用)。
 
  「初心者の心には多くの可能性があります。しかし専門家といわれる人の心には、それはほとんどありません」
 
  「周りの人々をコントロールしようと思っても、できません。一番いいのは、好きなようにさせることです。(中略)好きなようにさせておいて、そして見守るのです。これが一番いいやり方です。無視することは、よくありません。それは一番よくないやり方です。二番目によくないのは、コントロールしようとすることです」
 
  「未来は未来であり、過去は過去であり、今だけが新しいことをするときです」
 
  「未来について、固定した考え、あるいは希望などを持っていると、今、ここにおいて、本当に真剣になれません。「明日、やろう」「来年、やろう」などと言います」

 
また、著書の中で度々、師弟関係についても触れている(以下、引用)。
 
  「ときに師は弟子に対して礼をし、弟子は師に対して礼をします。弟子に対して礼をしない師は、ブッダに対してもできません」
 
  「師の話を、透明な、純粋な心で聞けば、まるですでに知っていることを聞くように、それを受け入れることができます」
 
  「人間性のつねなる傾向として、教えを受け取るほうは、なにかその教えは、押しつけられているように聞こえます。」
 
  「…すべての戒律を守ることができないと感じるなら、取り組むことができると感じられる戒律を選んでもよいのです。(中略)まず最初にあるのは、規則ではなく、実際の出来事あるいは事実です。ですから、自分の戒律を選ぶチャンスがあるというのが戒律のもつ性質なのです。(中略)どの方向へ行くかはあなた次第です」
 
  「師たちの間にはどのような葛藤があってもいけません。もしある師が別の師のほうが自分よりも適任だと思うなら、その人のほうを勧めるのです」

 
上記のような師弟関係のあり方や戒律との接し方は、現代における上司と部下、同僚同士の関係性、仕事の受注や選び方にも当てはめることができるだろう。上司が礼を欠いて部下と接すればパワハラのような接し方となり、自己認識ができなければ、自分の能力の限界を超えて仕事をし続け、短期的には仕事の成果は下がり、中・長期的には体を壊して自分の日常に影響がでることになる。
 

私自身の体験を踏まえて。

 
私も前職において残業時間が120時間を超えることもあり、80時間を超えるというのは当たり前だった。私にとって仕事は好きなものであり、「仕事=生活」だと考えていたので、そのときは構わなかったし、苦でもなかった。しかし、それには無理があり、私は体を壊した。その後、私は考え方を改め、仕事を何でも引き受けることよりも、労働生産性を重視するようになり、仕組みが変わらない会社を退職した。鈴木氏が著書の中で言っているように、禅において戒律が合わないのなら、違う戒律を選ぶことは自由なのだ。この戒律を、会社でのルールや仕組みと捉えれば、その会社のルールや仕組みと合わなければ、職場を変えることは自由だし、自分に合ったルールや仕組みのある場所へ進めばいいのである。
 
また、年功序列が生き残っている日本の社会では、「年上」「先輩」「上司」というだけで、その人の話は「重圧」を帯びる傾向が出てきてしまう。それは話す方もだが、聞く方も少なからず感じてしまうものだ。だから、話し手はその傾向を意識して、相手に伝わる話し方を勉強する必要があり、聞く方はその傾向を意識して、相手が伝えたいことに集中する必要がある。
 
それ故、現代日本での「年上」「先輩」「上司」にあたる人は、相手に自分の話が伝わらないからといって「私が言ったからやりなさい」ではなく、「言い方を考える修行を与えられている」と思考を変えた方がいい。それは、自分がそのような立場になってきていて強く感じる部分でもある。クライアントの対応でも同じだが、相手に伝わる話し方を一瞬一瞬で考えることによって、話す内容は論理的かつ具体的になるし、考えるという一瞬の間(ま)によって、自分が冷静になっていくのを感じる。不純なように聞こえるかもしれないが、私はそれを楽しんでいるし、その都度、修行だと思っている。
 
鈴木氏はこのようにも言っている(以下、引用)。
 
  「唯一の道は自分の人生を楽しむこと、それだけです。(中略)それこそが、坐禅を修行する理由です。(中略)最も重要なことは、ものにだまされないで人生を楽しむことができるということです」
 
私も含めて、人は幸せでありたいと願う。幸せは不安とともにあるが、不安をすべてなくすことはできないだろう。しかし、幸せであるときの感覚は知っている。優しく、平穏で、気持ちのいい感覚だ。それを手に入れるために仕事や修行をすれば苦しいものになるが、幸せであるときの感覚はすでにそこにあるもの、仕事や修行とともにあってもいいものだとわかれば、一瞬一瞬が幸福に変わる。それを伝えてくれる本であり、禅という特殊な環境だけでなく、仕事や日常生活での自分のあり方や、上司と部下の関係性にフィードバックを与えることができるビジネス書でもある。
 
*『サーチ・インサイド・ユアセルフ 仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法』、著:チャディー・メン・タン、出版:英治出版、2016年
 
 
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アートの依頼仕事。

2016.9.28

アート関係での依頼仕事で、先日、襖絵に手を加えることをしました。既に完成されているものに手を加えるのは久しぶりのことで、しかも、珍しい幅の襖で本来なら3枚で使うところを2枚で使っているため、1枚あたりの幅が広く、威圧感さえ感じるものでした。
 
実は、その襖がある家は近々取り壊して、一家で別の住居に引っ越すとのこと。しかし、今の家は、依頼主とお亡くなりになった祖母との思い出がある家であり、描き終わってから知ったのだけれども、特徴的な襖の幅も祖母のこだわりだったようです。
 
偏狭なる賞賛と批判のゲームを降りてからは、こういった依頼が増えています。自己表現ではなく、中庸の道として作品があるべき姿として世に形作られること。亡くなった人との関係性が含まれる作品をつくること。第三者である自分は予測するしかないが、今を生きている依頼者へ、そっと寄り添えるような作品でありたいと思います。

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メッセージに込めたもの。

2016.8.1

ホームページのトップメッセージを「How can I relieve your anxiety?」に変更しました。訳すと「どうしたら、あなたの不安を和らげることができるだろうか?」になります。「remove:取り除く」にしなかったのは、最終的に答えを決めるのは、不安を抱えている本人自身であったり、企業だからです。その不安は、「利益を上げることができるだろうか」「株価を上げることができるだろうか」「ユーザーを喜ばすことができるだろうか」「上司を説得することができるだろうか」など色々あります。
 
僕らができるのは、不安の根っこを見つけるのを手伝い、根っこから芽を出させ、花を咲かせようと形を作ることです。「こう育てると、こういう花が咲きやすい」という例を示すことや「こういう花の方が合っているんじゃないか」という提案はできるけれど、「どういう花を咲かせたいか」というのは不安を抱えている本人自身が決めなければなりません。
 
そして、不安が新たな不安を呼ぶように、案外、事業者自身や担当者自身が、根っこに気づいていなかったりします。はじめの頃は気づいていたかもしれないけれど、徐々に、新たな不安の方に注意が向けられ、根っこの部分を置き去りにしていることがあります。
 
僕らのような外部の人間だからこそしやすいのは、根っこの部分に再度スポットを当てるということ。そうすると、負の連鎖として新たに生まれた不安も、正の連鎖として解決できたりします。そして、根っこにある不安は、事業者や担当者が常に抱えるものであるのだから、その不安を和らげる方法を考え、形にするのが僕らの仕事です。そういう意味を込めて、「How can I relieve your anxiety?」というメッセージにしました。

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